D・O・L・C・E





目覚めはとても静かだった。

ひとつふたつ瞬きをすると、濃い色の睫毛がリボーン自身の下瞼をやさしく叩いた。これは彼の小さな日課だった。そうして自分が『生きて』目覚めた事を確認すると、すかさず周囲に神経を張り巡らせる。それは業より生まれ、その中で生きる者の悲しい習性だった。もっともリボーン自身はそのように認識していなかったけれど。


気配は続き部屋のむこうにひとつ。敵ではない。そう、少なくとも昨夜の時点までは。

のんきに鼻歌などを歌っているのが聞こえ、少々へきえきした。
気配の主の無防備さは、時にやたらとリボーンの罪悪感をあおる。もっともリボーンに自覚は無かったが。

気配と鼻歌とが近付いてくるのを感じ、再びリボーンはその瞼を閉じた。
目の裏に描くのは、昨夜の記憶。
今は厚いカーテンで覆われているが、見事な夜景を臨める窓は、まるで巨大なスクリーンのようだった。
その側にはソファとテーブルが一式。
特別なのだと勧められたワインは、正直好みではなかったが、それでも手配に要するだろう労力と、それをみじんも感じさせない笑顔で十分釣りが来る、とリボーンは感じた。

それから、ベッド。
夕食はいつも通り別々に済ませていたし、シャワーはというと、――これもいつも通りの事だったのだが――無しだった。
別に、我慢がきかなかったわけではない。当然シャワールームだって完備されている。ただ、相手に許可されなかった…それだけの事だ。

いつもそうだ。事を始める直前にリボーンが汗を洗い流す事を、彼は好まない。
もちろんあらかじめ清めてくることは出来たが、そうしたらそうしたで面倒なことになる。不貞腐れるのだ。これ以上はないというほど、それは見事に。


(―――そこまでこだわる理由がどこにある?)


当然体を洗わず行為にいたるのには気がすすまなかった。すすむはずがない。だが悪い事に何を言っても無駄だというのも解りきっていた。彼の元生徒は一度こうと言ったら聞かない。あれほど興味や関わりのない事には鷹揚というか、いい加減なくせに。


『要はお前ら、似たもんどーしって事だろ?コラ』


幼馴染から呆れ半分、面白半分に言われた台詞が蘇る。この時リボーンは学んだ。……愚痴というものは、まずする相手を選ばなければならない。


だが。
だが、とリボーンは思う。

シーツに横たえられ、彼の整った面がじぶんの体のあらゆる場所へ押し付けられるとき。
あれは決して悪くないのだ、とリボーンは考える。
あの空気。すべてを委ねあいながら、それでいて何一つ逃すまいとするような、緊迫感。
別のよく似たものを、リボーンは知っていた。
それは標的を抹殺する瞬間。照準を合わせ引き鉄をひく高揚に他ならなかった。


(―――『まとも』じゃねーな、つくづく。)


リボーンの唇に薄く笑みが浮かんだ、その時。
見計らったように、薄暗かった部屋いっぱいに光が射した。
閉じた瞼の裏に鮮やかな赤がちらつく。それはリボーン自身めったに拝めない彼の血液の色だった。だからといって何の感慨があるわけでも、なかったが。

リボーンはのろのろと瞼をあげ、それからやや短めの眉をしかめた。

薄目を開けて睨みつけた先には、憎らしいほどの笑顔があった。


「…おい…こいつは何の嫌がらせだ、ディーノ」

「おはよ、リボーン。」


リボーンの声はそこいらのマフィオーゾなら聞いただけで震え上がるようなものだったはずだ。
だが、ディーノは悪びれもせず近付いてくる。日差しを背に、実に友好的に笑いながら。その手には小さなリモコンがある。リボーンはすぐにそれがカーテンを操作するためのものなのだと理解した。
自分の手の中へ注がれる視線を感じたディーノは、どこまでも楽観的で、にこやかにリモコンをリボーンに向かって差し出した。


「やってみる?」

「……」


違う。
そういってやりたいのを堪え、リボーンは無言でリモコンを受け取った。さしあたっては、とにかくこの光の洪水から逃れたい。重厚なカーテンは、微かなモーター音と共に、またしても速やかに閉じられた。


「どうしてオレが起きるまで大人しく待てないんだ?」


再び薄暗くなった部屋の中、リボーンはうんざりといった口調でディーノに問いを投げた。
それに対してディーノは、少し考える素振りをしてからこう答えた。


「あーうん・・・努力はしたんだけどな。」


ぽりぽりと頭をかくディーノに、リボーンは毒気を抜かれ、ついでに軽く脱力した。嫌味を言うのさえばかばかしい。彼にとってディーノは、聡明なくせに変なところで手のかかる生徒だった。…いつまでたっても。

ディーノはというと、こちらはこちらで元教師の機嫌をかぎわける術に長けている。すかさずベッドの端に腰掛け、大きな黒い瞳をのぞきこむ。そのまま唇の動きだけで告げられるのは、朝の睦言だ。

それにいくぶんか気を良くしたリボーンは、違う方向から攻めることに思い当たった。解らないならば仕方ない。出来の悪い生徒は根気よく諭す。結局はそれが一番の近道だ。


(―――まったく、オレも気が長くなったもんだ。)


「オレが眠ってる間はカーテンを開けるな。窓が防弾だろうがなんだろうが、無防備になりすぎる」

「えー」

「えーじゃねーだろ。前にも言っただろーが。」

「だってさ、起きてたじゃん。リボーン」

「・・・・・・」

「らしくねーからさ、どんな反応するか試してみた。」


リボーンの顔から、仮面でも落とすかのように表情が消えた。そうなることをある程度予測していたのか、ディーノは静かに見つめ返すことでリボーンに応じた。そうして素早く相手の真意を探り合う。行為の間でさえ武器を肌身から離さないことは、お互い承知の上だった。

――部屋の中に長い沈黙が落ちる。その間は身じろぎひとつ許されなかった。そうすれば相手に銃を抜かせてしまうと、二人とも解っていた。


「――――怒った?」


先に沈黙を破ったのはディーノだった。いつもの人好きのする笑顔を浮かべている。リボーンは答えず、しばらくディーノを観察しているようだったが、やがて溜息をつくと小さくかぶりを振った。


「いや。…だが、もうやるなよ。」

「次やったらオレのこと殺す?」

「―――ああ。」


ディーノのきわどい問いに、リボーンは慎重に、しかし一切ごまかさず答えた。


「・・・そっか。安心した。」


心からほっとした様子でディーノが言うのに、さしものリボーンも怪訝な顔をする。それに気付くと、ディーノは半分泣きそうな顔で笑った。それは今では知るものの少ない、『跳ね馬』になる以前の彼によく見られた表情だった。


「オレ、そういうの付け込みたくなるしさ。怖ぇんだ、…ちょっとな。」

「……ああ。」


キャバッローネファミリー、10代目ボス、ディーノ。
今となっては左腕のタトゥーよりその顔のほうが知れ渡るほどの大物だというのに。

苦しみしか伝わってこない笑顔だった。見ているほうが辛くなるような。


(―――まったく…いつまで経っても甘いままだな、お前は)


――――パシンッ

「!あイテッ!何すんだよ、リボーン!」

「ったく、いい歳して叱られたがるなんて、甘えてる証拠だぞ」

「…そりゃあ、リボーンがオレを甘やかすからじゃねーの?」


今しがた額をはたいたリボーンの手が自分の前髪を撫でるのに、ディーノは複雑な表情をした。だがそれも結局続かず、目の前の細い手首をつかむと、そのまま掌に口づけた。


「な、シャワーしないでするのってさ、恥ずかしい?」

「バカだろ、お前…」


軽口に呆れながら、リボーンもまたディーノの好きなようにさせている。


―――昔とちっとも変わっていない。


気付いていないのはお前だけだ。

ディーノの金髪をきまぐれに掻き混ぜながら、リボーンは心のうちだけで呟く。

深く口付けられ、眼を閉じると、いつになく神経が研ぎ澄まされることに気付いた。今なら某大国のトップでさえ仕留められる。そう思えた。





(―――『似た者同士?』…どこがだ)








幼馴染の、口調とは裏腹な表情が、リボーンの脳裏に浮かんで、消えた。











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