――やべえ。

熊の腹にしがみつきつつ、オレは心底焦った。

バンビが鞭に怯んだ隙をついて離れるはずが……頼みの綱、もとい鞭は、今やそのバンビの後ろ足の下で、もみくちゃにされちまってる。
口の中がカラカラになってたオレは、唾液のかわりに少しばかりの空気をこくり、飲み込んだ。


――さあ、どうする?


……どうするって、そりゃ。
まずい、何も考えてなかったぜ。
相手はただでさえこのオレが突き飛ばせるような体格じゃない上に、すっかり逆上しちまってる。
こうしてる間も、バンビは吼えに吼え、オレの背中へ生暖かい唾液を撒き散らしてんだ。

このまま鞭のない状態で態勢を変えるのは、どう考えたって無理がある。っていうか死ぬ。しかも、瞬殺。


「――あーっもうっ、くっそぉお!!」


オレは半分ヤケになって叫ぶ。
そして出した結論、それは――こうなりゃバンビとの根くらべしかねー!
お前が力尽きるまで、オレはこのまま耐えてやる、何時間だってな!やってやろーじゃねーか、見てろよ!


そんなふうにオレが息巻いた――その時だった。


一発の銃声があたりに響いて、何事かと思う間もなくバンビの身体が前のめりに――つまりオレのほうへともたれてきた。
今までにない勢いでかかってくる体重に背骨がイッちまいそうになって、オレはあわてて脇に逃れようとする。


「〜〜〜〜〜〜っっ……!!!」


が、駄目だった。
既にヘトヘトだったせいもあるけど、虚脱した熊の巨体はハンパじゃなくて――……やべえ…つぶれる。そう思った時、オレに向けてかけられた声があった。


「――おいおい、大丈夫かよ?」

「・・・っ?」


――誰だ?

聞き覚えのねーそれに意表をつかれる。

普通に考えると、そいつがさっきの銃を撃ったん、だろうな。
どうやら背後にいるみてーなんだけど、今のオレの視界は、バンビの腹がそのすべてを占めてる状態だ。



疑問に思ったオレは、よせばいいのに、ついつい後ろを見ようとして…バンビの腹に回した腕の力を、抜いちまった。


――やべ。


さらに悪いことに、地面から少しばっかり顔を出してたらしい石に、かかとから躓く。


「う、わ!?」

「!!おい!!?」


転倒したオレは、当然ながらそのままバンビの下敷きになった。
これには背後のやつも焦ったみてーで、大きな呼びかけが繰り返される。


「――おい、しっかりしろ!」


全身が音をたてて軋む――陸にいて、息をするのがこんなにも難しいなんて不思議だった。

すさまじい圧迫感のなか、オレの横にひざまづいたらしいそいつの、かろうじて靴だけが見えた。黒い革靴。…このあたりの人間じゃねー、な。顔は…だめだ、どこもかしこもピクリとも動かせねえ。


「・・・!・・・・・・!!」


…なんか言ってるみてーだけど、もう聞こえねーや…。



そのうち息苦しささえもなくなり、もやがかかるみたいに何もかもがぼやけて――……オレは気絶した。





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