日が高くなっても、リボーンは相変わらず目を覚まさなかった。

眠るリボーンの体を膝に乗せ、その小さな手をとる。赤ん坊らしく肉のついた5本の指。湿疹はそんな所にまで及んでた。ふと思い当たり、オレはリボーンのてのひらの中に自分の指を一本すべりこませてみる。だけど熱いてのひらは無反応のままで、オレの指を握る事もなかった。

――それで決心がついた。

寝床に、リボーンの体をそうっと横たえる。すると、その脇のレオンと目が合った。


「んな心配そーな顔、すんなって。…何とかすっから。」


ちょっとだけ首を傾げるレオンに、オレは笑って見せてやる。


「無線が要るんだよ――リボーンを病院に連れてかなきゃ。オレがやるしかねーんだ。」


膝をついた状態から立ち上がり、服を払うと、ずっと側に置いていた鞭を手に取った。


「――今度こそ、守んねーとな。」

「……」


まるでオレの言葉を理解したように、レオンは何度か瞬きをする。それからおもむろにてくてくと歩き出し、オレのほうへ近付くと、ぴょん、と肩へ飛び乗ってきた。……もしかして。


「……ついてってくれんのか?レオン」


オレの問いかけに、またパチパチと瞬きをすると、レオンはその姿を矢印に変えてみせた。示す先にあるのは――森。

…そういやオレ、昨日の場所覚えてねーや。


「さんきゅ。」


頭はこのへんかな。ってあたりを指先で撫でてやれば、ペロリ、掌をなめられた。ありがとな。――お前がいてくれてよかったよ。


森に入る前にもう一度リボーンの姿を確認する。

できるだけすぐに戻ってくるから。……だから頼むから、それまでもうちょっとだけ頑張ってくれよ?




森は鬱蒼としていて、昨日入った時と変わっていないはずなのに、より不気味に感じた。
この森のどこかに熊がいるんだって事を知っちまったせいかもしれない。はじめはそう思った。

だけど、進んで行くにつれ、それは少し違うってことに気付いた。

――リボーンがいてくれたからだ。
あいつが前を歩いててくれる、そのことがオレにとっては何より心強かったんだって。つまづきそうになるたび、オレは思い知った。

それから、リボーンの決めたこのコースは、この森の中では比較的進みやすい道のりなんじゃないかって事にも気付く。……昨日はついて歩くことに精一杯で、解らなかったんだ。


「……無理な話だよな、そりゃ。」


頼りにしてほしいとかって、口だけじゃねーか、オレ。つい苦笑いが漏れる。

それに、オレより数メートル先をゆくレオンが、不思議そうに振り向いた。――その時。

木の陰からなにかが現れた。と思うと同時に、バシ、という音がして、それと共に、レオンの体が水平に飛んだ。


「!!レオン!!」


一瞬何が起きたのか解らず、オレは焦り、茂みのほうに飛ばされたレオンの姿を目で追う。と、耳にグルル、という唸り声が聞こえた――熊だ。そうか――木の幹が死角になってたんだ。このあたりは見覚えがある。その向こうはすぐ水場だ。――くそ、なんでもっと早く気付かねーんだ、オレってやつは!


「おいっ、レオン?――レオンっっ?!」


じりじりと後退しながら、オレは大声でレオンに呼びかける。
すると、地面の上、オレの前を素早く横切り、森のほうへと走り抜けてく何かを見た気がした。レオンか?――でも、確かめたわけじゃない。熊の一撃はかなり重く、しかも確実にレオンの体にヒットしたはずだ。

おちつけ。――おちつけ。

すぐにも追いかけていっちまいそうな自分に言い聞かす。レオンは形状記憶カメレオンだ。前にリボーンが言ってた、銃弾で撃たれても大丈夫なんだって。だから――大丈夫だ。

ぎ、と奥歯を噛み締め、オレは目の前の獣を見据える。――そうだ、今はこいつに背中を向けるわけにはいかねー。


熊はその首を大きく振ると、オレに向かって、まずは大きく吼えた。


「っ……」


腹までビリビリ響くみてーな声や、体のでっかさはもとより、その獰猛さを垣間見せる眼光、足のでかさ、爪の太さ。――それら全部に、改めてオレは本能的な恐怖を感じた。

それを敏感に察したのか。獲物の戦意喪失に駄目押しするみてーに、そいつはさらに、今度は二本足で立ってみせる。オレは――多分やつの思惑通りに――一瞬、頭の中が真っ白になった。


「――う、わ!」


軽くパニックになって、反射的に鞭を自分の体の前で振りかぶる。

今、熊との距離は、約5mくらい。届くわけねーだろ、何やってんだ?――戻ってきた思考で自分で自分に突っ込んでたら――ズシン、という音がした。


「……?」


見れば、今上がったばかりの熊の前足が、再び地面におろされてる。
そのまま突進してくるのかとも思ったが、やつは低くうなりながら後退して、逆にオレとの距離をさらに広げた。


「……」


もしかして。ためしにオレは、もう一度今度は大きく鞭を一振りしてみる。すると、その巨体はまた後ずさるように動いた。同じようにしてもう一度。――やっぱり。


「…なるほど、な。」


うなりながらも後退する熊を見、オレは確信した――やつは鞭を警戒してる。
だけど、油断は禁物だ。さっきより少しだけ距離があいたってだけで、いつまた襲ってくるか解ったもんじゃねー。


考えろ。
確かにオレには、とんでもねー怪力も鋭い爪も、牙もない。でもその逆だってあるはずだ。
オレにあってこいつにないもん――つまりそれは、理性と知識。――だから考えろ。必ず手はあるはず。だって、リボーンが出来るって言ったんだ。そう――この鞭を使えば、って。


無線は熊の腹に仕込まれてる。リボーンくらい小柄であればともかく、やつが全ての脚を地面につけてる状態でオレが無線を奪うのは難しいだろう。

ってことは…


「マジ、イチかバチか…だな」


甘えんじゃねー。
いつもなら絶対言われてそうな台詞。だけど今、オレを叱咤してくれるやつはここにはいない。


――ほそく息を吐き、鞭のグリップを握り締める。


オレは一歩を踏みしめた。歩幅のぶんだけ、オレと熊との距離が縮まる。

熊はそれに応えるみたいに、グルル、と唸る。口元からは唾液が垂れ、こうして距離をとっていても、生臭いいきものの臭いがオレの元まで漂ってきた。


一歩ずつ、ゆっくりと。

オレはやつに歩み寄る。


「そもそも、お前からすりゃいい迷惑だろーけど」


オレは熊に、わざと陽気な口調で話しかけた。通じやしないのなんか解ってるって。でかい独り言だ。――そうでもしないと立ち止まっちまいそうだったんだよ。

人間が歩み寄ってきたことでさらに興奮したのか、ひときわ大きな咆哮が響く。
うまく牙をしまえなかったのか、その歪んだ口元がオレを嘲笑ってるように見えた。
なんだ、お前、オレがおかしーか?そーだな、自分でも大したバカだと思うぜ。……でも。


「しゃーねーよ、手ぶらで戻ったんじゃ合わす顔ねーし。だろ?…それにおかしいっつーんなら、」


オレはにや、と笑ってやる。


「……お前の名前。あれもどうかと思うぜ?」


――ここらでいいか。
鞭が届く範囲であることを確認して、オレはようやく立ち止まった。


――おいおい、ホントにでけえなぁ。
やっぱりあんまりだろ、あの名前は。

状況に脳みそが飽和しちまったのか、どこか薄らいだ現実感のなかで、オレはそいつの生臭く湿った息遣いを感じた。

人間の接近に興奮した熊は飛沫を飛ばし、鋭い声をニ、三度発すると、目の前のヒトを排除するべく、再び後ろ足で立ち上がった。
熊が前足で蹴り上げた砂埃に目をやられないよう注意しながら、オレは目的のものを探す。と、その褐色の腹に、一箇所だけ黒っぽいものがある。太陽の光を反射したので、オレは一瞬でそれが金属だと知ることができた――、無線だ。

――あった!

鞭のグリップ部分を水平に構え、そのまま口にくわえると、オレは目の前の褐色の塊――つまり熊の下っ腹に抱きついた。

オレの奇怪な行動にうろたえたのか、熊はものすげえ勢いで暴れだした。だけど、その前足がオレの身体に触れることはなかった。
四本足で歩く動物の前足は、基本的に自分の腹に届かないようにできてる、理論上ではな。実際にするとなるとカケに近いもんがあったけど……とりあえず、ここまでは成功。

――問題はここからだ。オレはこれから無線を取って、しかも戻らなきゃなんだからな。――リボーンのもとへ。


当然ながら、バンビは怒り狂ってる。思うようにオレを攻撃できず、苛立ち、叫び、暴れた。

オレは握りつぶす勢いで分厚い熊の皮膚を両手で掴んだ。さらに密着する。生きた熊の毛は思いのほか硬く、しかも脂っこい。手が滑らないよう、かなり注意が必要だ。
と、右胸辺りの硬い感触に気付く。視線だけをそこにおろすと、オレと熊の身体の間に金属製の黒いかたまりを見つけることが出来た。――無線だ。

ああ、やっぱお前か!会いたかったぜ!今すぐ抱き締めてー気分だ、いや、実際に今抱いてんのは熊なんだけど。


「!!うぅうわっっ!!」


バカな事いってたらさっそく遠心力で振り落とされそうになった。あぶねーなっ、バンビこの野郎!!あわててごわごわの毛をひっつかむ。シャレなんねー、落とされて転がったとこを狙われでもした日には、一巻の終わりだ。


「ん?」


今、オレ、叫ばなかったか?

そう気付くのとほぼ同時に、地面に落ちてる『何か』を踏んだ。


「…………」


あー………


さっと全身から血の気が引いてく。……オレ……やっちまった?


……鞭……落としちまったみてえ……









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