「別に何も。」

「何も?」

「何も。」

「本当に?」

「本当に。」


食い下がる僕に、彼は笑い、ゆっくりとその睫毛を上下させた。
そうして組んでいた脚をほどくと、その身を前へと傾ける。少しだけ僕と彼との距離が縮んで、まっくろな彼の瞳が上目気味に僕のそれをのぞきこんだ。


「どうした――どうしてそんな事を訊く?」


語尾にわざとらしい抑揚、それは彼が相手の緊張を促そうとするしるし。
疑りぶかいね。知ってるよ、君が、ちっとも僕を信用していないってことは。
構いはしないさ、その慎重さは賞賛に値する。

答えず、口元だけで笑って見せれば、ことさらゆっくりとその唇が開かれた。
覚えの悪い子供に発音を教え聞かせるように、一語一語をかたちづくり、見せつけながら、彼は言葉を模る。


「誰かが」


(ああ、その目だ。)

紛れも無い恐怖が、僕の背筋をかけのぼる。これを感じるたび、――君は知っているのかな?――どうしようもなく支配されたい、そんな気分に僕がなるってこと。


「何か言っていたか?」

「――うん」

「――おい、雲雀」


隼人が思ったとおりのタイミングで口をはさんできた。
それに、僕はいったん口をつぐみ、ちらり、と彼を見やる。すると彼は振り向きもせず、隼人にこう言い放った。


「人の話の腰を折るのはお前の悪ぃ癖だぞ、獄寺。黙ってろ。」

「……」


にべもないその言い様に、隼人がぐっ、と黙り込んだ。

少し以前の事になるが、隼人は彼の言う『悪癖』によって、失態をやらかしている。
それはとても重要な同盟ファミリーとの会談で、居合わせたドン・キャバッローネと彼の機転で最悪の事態は免れたものの、一歩間違えればその場は血の海、だったそうだ。――もっともこれは後から山本君から聞いた事だから、どこまで本気にしていいのか怪しいものだけど。

ただ、その後の隼人の消沈のしかたは並でなく、そのことから山本君の話は、僕の中で信憑性をいっそう増した。


黙り込み、うつむいた隼人と彼とを、僕は見比べる。

山本君いわく――その時、彼は何もいわなかったという。


良くも悪くも自分の正しさを曲げない隼人はトラブルの種で、彼は常に注意を促していた。――役不足な綱吉くんのかわりに。
そんな彼がその時に限ってただの一言の叱責もなく沈黙していた。だからこそ。

僕はもう一度、子供のように立ち尽くす隼人を見る。

隼人は、その時初めて恐怖したのだと思う。――彼に、完全に見放されるということに。


与えるだけ与え、そうして奪う。きみのやり口はほんとうに残酷だね。


「ヒバリ。」

「――うん。」


これで文句はないだろうとばかりに、先を促すかわりに名前を呼ばれる。
僕はそれを受け、だけどふと思い当たり、その前に、とつけくわえた。


「ひとつ、心配ごとがあるんだけど」

「?」

「僕が話すことで、君を不愉快にするかもしれないんだ。それでも構わない?」

「もちろん」


少し首を傾げた彼は、笑って僕をみつめる。心もち穏やかになった瞳に複雑な――としか形容できない――思いを抱きながら、それでも僕は喜んでいた、彼の要望に、ようやく応えられることに対して。


「この一週間、みんなで心配してたことがあるんだ。つまり――」

「つまり?」

「つまり、」


やさしい口調につられるように、僕はその言葉を口にした。食い死にしたい豚――、そんなふうにうたった詩人は誰だったろう?




「君が――死ぬんじゃないかって。」







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